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 4月に肺がんで亡くなった大林宣彦監督は尾道3部作をはじめ、多彩な作品でファンを楽しませてくれた。公私をともにした妻の大林恭子プロデューサーが、ちょっとキザだった学生時代の監督のエピソードや、遺作「海辺の映画館-キネマの玉手箱」の撮影中に初めて見せた表情まで、60年以上にわたる思い出を語った。

拡大する写真?図版昨秋の東京国際映画祭に出席した大林宣彦監督=東京?六本木

 前作「花筺/HANAGATAMI」(2017年)の後、監督の体力が落ちていたので、「海辺の映画館」は自宅に近い東宝スタジオで撮ろうと思っていました。実景の撮影などは若い演出部員に頼むつもりでした。だけど、病状がだんだん悪くなっていき、もう尾道に行けなくなるんじゃないだろうかという気配を感じました。それで「尾道に行こう」と決めました。

 尾道での撮影は「あの、夏の日~とんでろ じいちゃん~」(99年)以来、20年ぶりになります。尾道市などが「観光、観光」と言い過ぎるので、しばらく遠ざかっていたんです。開発が進み、コンクリートの建物が立ったりして、昔ながらの風景が少なくなっていました。

拡大する写真?図版大林監督の思い出を語る大林恭子さん=東京都世田谷区の自宅

遺作の撮影時、モニター嫌いの監督が…

 尾道の石段はとても美しいけれど、年を取ると、上り下りするのがきついですね。今になって分かりました(笑)。監督のお母さんが途中で休みながら上っていたのを思い出しました。坂の上はずいぶん空き家が増えていたんですが、外から来た若い人たちに貸すことで、また活気が戻ってきつつありますね。

 「海辺の映画館」の撮影は大変でした。撮影現場に入ると、監督は夢中になって元気を取り戻すんです。でも、さすがにもう走り回ったりは出来ません。最近はモニターを見ながら演出する監督が増えましたが、大林はモニターが嫌いでした。カメラの横に立ち、俳優の演技をじかに見て演出する人でした。フィルムからデジタルに代わって、監督の現場にもモニターが入りましたが、スタッフには「恭子さん以外はモニターを見てはいけない」と言っていました。

 今回、私は2週間ほど遅れて尾道に入りました。倉庫内に建てたロケセットに行ってみると、そんなモニター嫌いの監督が、俳優たちの芝居場から少し離れた所にあるモニターの前に座って演出をしていました。そのもどかしさを、目で私に訴えてくるんです。それを目の当たりにした時、とても可哀想に思えました。

 もう大きな声が出せなくなって…

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