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 戦争を記憶する木がある。

 秋田県由利本荘市の市街地を流れる子吉川。その川を見下ろす山の中腹に立つ新山(しんざん)小学校に、所々、奇妙な容姿の松が生えている。

 V字形に樹皮がはがされ、むきだしになった幹に、何本もの筋が刻まれている。誰かがいたずらで傷をつけたのかと勘ぐりそうになるが、そうではない。

 木を撮影していると、校庭にいる児童たちが「何をしているの?」と尋ねてきた。「戦争のとき、この松の油で飛行機を飛ばそうとしたんだって」と答えると、「えーっ」。びっくりした表情を浮かべた。

 太平洋戦争末期、日本は連合国の経済封鎖や戦況の悪化で石油が枯渇し、戦闘機を飛ばすことも危ぶまれた。そこで政府が目をつけたのが松の油だった。樹液や根っこから代用燃料を作ろうと考えた。当時の新聞をめくると、「サァ皆んなで採らう」「これで飛ぶゾ、友軍機」などの勇ましい見出しとともに、国民に松の油を採るように奨励する記事が何本も見つかる。

 「皮をナタで削り落として、ノコギリで斜めに切り目いれて……」。同市石脇の農業野辺政司さん(90)が遠い記憶を思い起こしながら、やり方を教えてくれた。切れ目から流れ出す松ヤニを、木に打ち付けたくぎにぶら下げた缶で受け止める。1本の木から採れる松ヤニは1日20グラム程度。「一斗缶集めるのに、かなり日数食ったもんだべ」

 切り株を掘り起こし、蒸し焼きにして油を集める方法もあった。「松200本の油で飛行機が1時間飛ぶ」と宣伝され、学校に通う生徒が動員された。

 終戦の前年、本荘高等女学校(現由利高校)に入学した女性(88)は、当時13~14歳。学校では松の根を掘ったり、食糧難だったため自分たちで食べるサツマイモや枝豆を植えたりした。「晴れた日に勉強した記憶がない」という。

 根っこほりは上級生から下級生まで7、8人で班をつくり、シャベルやスコップで根の周りを掘った。根は地中深く伸び、子どもにはつらい労働だった。

 「今から根っこから油作って大丈夫なんか。こんなことして負けるんでねえか」。そう思ったが、口に出そうものなら、周りから「そんなこと言ったら捕まるぞ」と叱られた。

 「何もわからない子どもたちも掘らされて。教育って怖いもんだと思う」。女性はかみしめるように振り返った。(曽田幹東)

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 新山小の駐車場には木の由来を伝える看板があり、「松脂も松根油も航空燃料としては質が悪く、実用化できないままに昭和20(1945)年の終戦を迎えました」と、その後の歴史を記している。

 同様の松は全国各地に残っており、県内では秋田市の千秋公園でも見ることができる。V字に刻まれた松は、国民を動員したうえ目的も果たせなかった愚かな国策の記録と言えるかもしれない。